テレビコメンテーター 京極純一

学識ある知人から、NHK「週刊ヤング情報」という番組の存在を知らされたのが23日のことだ。いや、日をまたいで酔いどれて話をしていたから、24日なのかもしれない。まあ、どうでもいい。知人の紹介する内容にひかれて川口のNHKアーカイブまで足を運び、ただ1回分が公開されているその番組をみた。

Wikipediaによると、「週刊ヤング情報」は1991年4月から翌年3月まで、NHK総合で土曜日23時半から翌日0時15分の時間に放送、若者を対象に時事問題を解説するというテイストの番組だったらしい。

司会は桂三枝(現・桂文枝)、これはなるほどと思う。アシスタント役とみられるのは羽野晶紀(羽野の出演は91年10月からで、私がみた回は別の女性出演者だった)、コメンテーターとして陣取るのが秋元康。さらにもうひとりのコメンテーターがいた。秋元の向かって左隣、4人の端にたたずんでいたのは、誰あろう京極純一だった。

秋元康京極純一の並び、桂三枝と言葉をかわす京極純一という画は異質だ。しかし、より目立つのが京極のコメントそのものだ。くだらぬ論評をまじえず、一部の発言をそのまま紹介したい。

なお、この回の放送日は不明。内容から91年4月の放送とは推測できる。

ゴルバチョフ訪日、首脳会談について】
三枝「しかし京極先生、まあゴルバチョフさんが残してくれたものは一体なんだったんでしょうかね」
京極「やっぱり指切りげんまん(※)をしてですね、さいならさいならまたね、という。その『またね』というところに味があるんじゃないでしょうか」
三枝「はぁー。結局進んだんでしょうか。進んでないんでしょうかね」
京極「まあこれから、あのー、ほどき方、ほどけ方しだいだと思いますねぇ」
三枝「さすがしたたかな政治家というイメージを我々」
京極「ゴルバチョフ大統領もしたたかでしょうが、こちら側も立派だったんじゃないでしょうかねぇ」
三枝「評価していいですかね」
京極「はい(笑顔で)やっぱり指切りげんまんさいならさいならと思いますけど」
三枝「そうでございますね」
(※91年4月18日、当時の海部俊樹総理とゴルバチョフ大統領は日ソ共同声明にあたり、指切りげんまんをするパフォーマンスをみせた)

自民党幹事長について】
三枝「これはエリート、首相への道と」
京極「大体は他党との交渉という意味では外務大臣でしょうし、党内の運用という意味なら大蔵大臣もみな兼ねてるわけですね。ですからまあ、会社の社長(※)というのはそのとおりだと思いますですよ。ぜひなりたい」
三枝「問われる能力といえば集金能力と」
京極「まあ集金もですが、やはり人心収攬能力ってのが大きいでしょうね」
(略)
三枝「小渕幹事長はいかがでございますか」
京極「立派だと思いますよ」
三枝「大丈夫なんですかね」
京極「それは(笑い)私が太鼓判を押す問題ではないと思いますけど」
(※直前のVTRでは自民党総裁の職責を「会社の会長」、自民党幹事長は「会社の社長」になぞらえて説明していた)

アルバニア情勢について】
三枝「先生、ここが貧富の差がほとんどないと」
京極「皆さんが貧乏だという意味で貧富の差がほとんどないと。日本なんかは皆さん金持ちで割に貧富の差がないと。まあ差がないだけですといろいろありますね。やはり豊かな差のない国、平等な国と、貧乏で平等の国と」
三枝「このたび大統領を決めて、やっていけるんですかね、この先」
京極「まあ皆さんががんばらなきゃだめだと思いますですねぇ」

【日本の外国人について】
三枝「これだけ外国人増えたら、われわれは外国人にどう接したらいいんでしょうか」
京極「普通に接していればいいんじゃないでしょうか。まあ普通にっていうか、肩肘張らないで、肩から力を抜いて」

桂三枝は司会をやりづらそうであった。

「吉田博美」とは何者だったのか

10月26日、自民党吉田博美・前参院幹事長が死去した。夏に体調不良で引退してから間もなくのことだっただけに驚いた。

吉田氏につけられる冠は「参院のドン」をおいてない。政治は“ドン”がいないとピリリとしないが、参院自民党というブラックボックスめいた空間を束ねる吉田氏はまさに一級の役者であった。

とはいっても、吉田氏が実力者として耳目を集めるようになったのは、実は最近のことだ。テロ等準備罪が俎上にのぼった2017年国会の策士ぶりが大きなきっかけだった。かつて竹下登は「歌手1年、総理2年の使い捨て」と言ってみせたが、寿命2年のドンとは奇妙な響きである。一種異様であり、それが後世に吉田氏を見るとき、深い霧のようになるのではないか、と思われるのだ。

後述する2017年国会における“暗躍”まで、私の吉田氏に対する印象は大したものはない。国交族。元金丸信秘書の根回し政治家。跳ねっ返りの山本一太氏までもブログで好意的に紹介していて人望は厚い。そんなものでしかなかった。それだけに、その国会中に1本の新聞記事を読んだときの驚きは大きかった。

テロ等準備罪を新設する組織的犯罪処罰法改正案が審議された2017年国会は始終混乱がつきまとった。答弁に立った金田勝年法相(当時)は答弁に立ち往生し、「私の頭脳が対応できない」という迷言まで飛び出す始末。衆院法務委員会で怒号に包まれた採決が行われ、本会議を通過すると、主戦場は参院に移った。誰もが会期延長を予想するなか、夏の東京都議選を前にして与党がとった判断は「中間報告」を通して委員会採決を省略し、いきなり本会議で採決するという奇策だった。

産経新聞2017年6月16日付朝刊2面に掲載された「22時間ちぐはぐ国会」という記事でその内幕が報じられた。そこで描かれたのは吉田氏の寝業師ぶりだ。二階俊博幹事長や連立を組む公明党から一任を取り付けた吉田氏は、松山政司国対委員長のみに作戦を伝え、電光石火の採決に踏み切った。さらには成立するや、加計学園問題の追及に躍起の野党に予算委員会集中審議の開催を約した。同紙は「野党にも花を持たせると同時に、中間報告を『加計隠し』とする狙いを封じ込める狙いだった」と解説している。狙いの適否は別にしても、審議を会期内に収め、政局に吉田氏の手腕は冴えわたった。私がこの記事で吉田氏の力量を知ってから、吉田氏が「参院の新実力者」としてさまざまな場で名前を見せるまではそう長くなかった。吉田氏の動きを報じることが多かった同紙が、「参院自民新ドン誕生で復権か」との記事で吉田氏の「参院自民を実質的に率いる」姿を報じたのが、同年9月6日付朝刊。やはり、このころに吉田氏が実力者として認識されるようになったということなのだろう。

参院のドン」としての吉田氏。2年間になにをしてきたのだろうか。

参院のドン」といっても、さまざまなタイプがいる。まず浮かぶのは、池田・佐藤政権期に権勢を誇った”天皇”こと重宗雄三。派閥化の波が押し寄せる前の参院自民党を掌握し、佐藤総理さえも立ち入れぬほどの聖域をつくりあげた。重宗が力を揮ったのは、保守合同が成り、“自民党政権”が定着化を始めた時代だ。第一党が権力を使うことに成熟し、参院の位置づけを探るなかでアッパーハウスの実力者としてふるまった重宗は、後世の「参院のドン」と呼ばれる人種のロールモデルともいえる。

つづいて浮かぶのは1990年代後半に活躍した村上正邦氏だ。重宗が“天皇”ならば、村上氏に週刊文春が与えた異名は「参議院の尊師」。剛腕で参院の存在感を向上させた村上氏と吉田氏には重なる面がある。いずれも足元が不安定だったということだ。生長の家の後押しで政界に出た村上氏は、1980年代に同教団がそれまでの政治活動から撤退すると、KSDの支援を受けるようになった。そうしてのちにKSD事件で失脚に追い込まれたのは周知のとおり。吉田氏は地盤の長野県選挙区が選挙区改正で2016年参院選をもって2人区から1人区となり、強固な後援会組織を誇る羽田雄一郎氏との一騎打ちを迫られて去就に悩んだ。“ドン”といえども選挙の前には人の子ということか。

輿石東氏も忘れてはならない。政局にたけた人材の少なかった旧民主党にあって、教職員組合で培った組織運営能力、調整能力を発揮して参院を束ねた。現職中は「左翼政治家」と呼ばれることがしばしばだった輿石氏だったが、その本質は「政局政治家」というべきだろう。

そのような“ドン”を数えるうえで抜かしてはならないのが、2000年代に権力の絶頂を極めた青木幹雄氏である。青木氏は参院を掌握したのみならず、自派の平成研を“抵抗勢力”から小泉政権の支持基盤のひとつに脱皮させ、政権の安定に貢献した。青木氏と小泉氏はつねに打算をはらんだ関係にあり、けっして“蜜月”とはいいがたい。徹底した政局政治家ぶりと影響は、歴史のなかで別格だったと評価されるべきだろう。

吉田氏は青木氏の愛弟子として地歩を固めた。金丸信、中島衛という田中派政治家の秘書育ちの吉田氏は、長野県議を経て1998年に初当選してから、議運・国対、あるいは田中派からの伝統ともいうべき国土交通行政を仕事の場とした。実力者として扱われた間、吉田氏は党参院幹事長を務めていたが、それまでに党参院国対委員長、幹事長代理、参院国土交通委員長などを歴任した。青木氏に引き上げられ、参院で強い影響力を持つ所属派閥・平成研の威光を背にキャリアに重ねたわけだが、没後に多くの議員が述懐したような独特の面倒見のよさをはじめ、吉田氏自身が持った才覚が台頭のテコになったことは言うまでもない。

吉田氏が「参院のドン」として注目を集めるようになったとき、同時に目を向けられたのが後見人格の青木氏の存在である。毎週水曜日に砂防会館の青木氏の事務所(吉田氏の引退後には、吉田氏自身の事務所にもなった)で昼食をとっていたというエピソードをはじめ、吉田氏は青木氏にコントロールされているのではないか、という疑念が広がった。ただの政治家でもなければ、ただのドンでもない。吉田氏は派閥の枷をはめられた派閥政治家だったのである。

派閥政治家としての吉田氏の大きな足跡となったのは、額賀福志郎会長から竹下亘会長への交代劇だった。早くから「総理総裁候補」と目されてきた額賀氏だが、人望に欠け、実際に自民党総裁選に出馬したことは一度もない。総裁になれぬ派閥領袖からは人心が離れる。お公家派閥といわれる宏池会でさえ、大平正芳会長誕生の前段にあったのは佐藤政権への協力が過ぎ、足元をみられていた前尾繁三郎会長へのクーデターだった。「ムラから総理総裁を出す」という気持ちが吉田氏をしてそうさせたのか。吉田氏もまた、額賀体制の打倒に動く。2018年初頭から額賀氏に退陣を迫り、参院の所属議員をまとめて派閥総会に欠席させるなどした。

平成研には参院がまとまって領袖を決めた歴史がある。前身の経世会時代にさかのぼって1992年、金丸信東京佐川急便事件で政界を逐われると、派閥の跡目を竹下登が推す小渕恵三小沢一郎氏で争った。衆院の多数を小沢氏が握っていたのに対し、竹下側は「中立」を示しし、多数派工作の的にもなっていなかった参院を掌握した。後継会長を決める派の最高幹部会で参院経世会会長の坂野重信は小渕支持を表明する。結局、小沢氏は領袖の座を逃し、最後は派閥を割ることになった。大勢が決まり、竹下・金丸と“手打ち”の会談に臨んだ小沢氏は竹下を面罵。終了後記者団を前に「もう竹下さんと会うことはない」とくやしがった(田崎史郎竹下派死闘の七十日』)。

このとき、竹下の意を体して参院の取りまとめや小沢氏へのメッセンジャーとして奔走していたのが青木氏だった。参院平成研には、そんな権力闘争の残り香が濃く残る。吉田氏が火をつけた政局は、退陣要求から約3ヶ月後、額賀氏が会長を退任することで決着した。

吉田氏がそのような行動に踏み切ったのは、同年の総裁選をにらんだものといわれる。実際、総裁選で吉田氏らは安倍総理と対峙する石破茂氏を支持した。一方で、当面の政治状況のなかにあっては、本心としては安倍政権の維持をよしとしていたようでもある。没後、吉田氏を取材していた産経新聞の田中一世記者が「一度親(青木氏)を裏切ったら一生、人を裏切る人間になってしまう」という板挟みに悩む肉声を明らかにしている(https://www.sankei.com/column/news/191102/clm1911020004-n1.html)。いかな参院のドンといえども、「青木幹雄の側近」であり、平成研の議員であった。“中間管理職”とでもいうべきか。

以前に、「吉田博美って同時代的には安定装置として存在感のある政治家だが、冷静に考えるとなにかをつくったり、あるいは壊したりしていない分、後世からみればわけのわからない政治家として映りそう」とツイートしたことがある。吉田氏はあるべきだった「なにか」を青木氏に封じられ、さまざまなものを形にする前にこの世を去った。安倍支持の意図も、石破支持の落着点も、形にする前に。自派の総裁候補である茂木敏充氏や加藤勝信氏への政権禅譲を望んでいたのか、あるいは個人的なシンパシーで安倍総理を支持していたのか(吉田氏は総理のお膝元、山口県出身である)、いまではわからない。

吉田氏は一貫して参院平成研の政治家として地歩を固め、参院平成研の政治家として力を揮った。あくまで氏に付されるべき冠は、誕生に力を尽くした“竹下派”ではなく、田中派竹下派の系譜を背にして、参院が権力闘争の先陣に立って生まれた“平成研”であった。平成研ブランドの遺産管理人である青木氏のもとにいる以上、そうならざるを得なかったのである。そんな“平成研”の政治家としての吉田氏の道のりは一貫性を欠き、不明瞭である。それが、後世に吉田氏をみるとき、理解を阻むように思われる。

もしも、ということを考えたい。もしも吉田氏が青木氏を越えて生きながらえたとき、氏がまとうのは“竹下派”、あるいはさらなる新領袖の派閥の衣だったはずだ。そのとき、卓越した政局政治家の眼前に広がる光景はなんだったのだろうか。

衆議院本会議傍聴(2019年10月7日)

たまたま休みにあたったこともあり、衆院の代表質問に出かけた。2年ぶりになる。

11時ごろに国会議事堂前駅についたので入れるかなと心配したが、早いほうだった。とりこし苦労だった。本会議は14時から始まるというので、赤坂で昼食をとることにした。

とりあえずTBSを通りすぎ、店が並ぶあたりについたが何を食べようか浮かばない。赤坂・・・細田博之の家・・・以前に細田NHK政治マガジンで紹介していたイタリアン(https://www.nhk.or.jp/politics/salameshi/12233.html)に行こうか。地図アプリでさがすと自分の立っていた場所からわずか50メートルの場所だ。

「ピッツェリア・ギタロー」はにぎわっていたが、運よくすぐに座ることができた。細田が注文していた半熟卵とベーコンのピザを選ぶ。ピザだけで足りるかしら・・・と心配していたが、出てきたものはかなり大きい。先述の記事の画像をみると、細田はこれにパスタを加えているようで大食いだと思う。ピザが薄いためか行儀が悪いせいか、美しい食べ方はできなかった。カジュアルないい店で、また行こうと思った。

歩いて衆院の面会者受付所に戻ると、衛視が本会議の開会が遅れていることを知らせていた。本会議を待たされるというのは、国会傍聴でよくある。あせってもなにも動かないこの感覚を久々に味わう。

結局1時間ほど待たされ、本会議が始まった。最初に議場入りしたのは梶山弘志元地方創生相だった気もするが、違うかもしれない。赤沢亮正議員の蛍光色としかいいようがない黄緑色のネクタイがちらつく。先の内閣改造で起用された西村明宏官房副長官議席の氏名標を立てると、心なしかうれしそうに雛壇へ歩いた。林幹雄元経産相は笑顔で傍聴席に手を振り、渡嘉敷奈緒美議員は第3次小泉改造内閣組閣時の猪口邦子少子化相ばりに青い服装をまとう。ふと議席の配置を眺めると、演壇正面か3列目の議席は右端が石崎徹議員、ふたつおいて武井俊輔議員というお騒がせな並びだと気がついた。議場左側に目を移すと、日本維新の会・遠藤敬国対委員長公明党遠山清彦議員の議席に歩き、なにかを話していた。

大島理森議長が議場に入ると、国民投票法改正をめぐる発言のかどで野党議席からヤジが飛んだ。与党議席からは「ヤジるな!」と声。

最初の登壇者は立憲民主党枝野幸男代表。冒頭から大島議長にくぎを刺すと、与党議席からはヤジが飛ぶ。公明党議席では江田康幸議員が猛然と扇子をあおいでいる。暑いのか?

菅原一秀経産相の過去の発言を問う枝野代表。「私への質問で原発ゼロを発言された」と指摘すると野党議席から「オーッ」と合いの手。菅原経産相は首を左右にかたむける。雛壇では、枝野のほうを見ようとする北村誠吾地方創生相。さらに下をみると丸山穂高議員がニヤニヤしながら演壇を眺めている。

枝野代表は企業の内部留保や金融所得課税に話を移した。パチ・・・パチ・・・。えらく調子の外れた拍手が聞こえてきた。共産党議席志位和夫委員長がひとり拍手をしていたのだ。ここまでタイミングが違うと、拍手も一種のメッセージである。二党の“距離感”をうかがわせて面白い。そのあとにも志位委員長は“拍手”をしていた。雛壇では衛藤晟一沖北相が無限に書類に線を引いていた。線を引く意味あるのか。

下をみると山下貴司前法相が議席を立って誰かをさがしていた。閣僚を離れてすっかり“その他大勢”の風情だ。山際大志郎議員と言葉を交わしながらものすごい笑顔(ものすごい笑顔としか形容しようがない)を浮かべる石原宏高議員を脇に質問はゆうちょ問題に。立民議席から返り咲いたばかりの森山浩行議員が激しいヤジを飛ばす。この本会議では、森山議員のヤジが目立ち、はじめてそのヤジ将軍ぶりを知った。議場を出たのは維新・足立康史議員。扉では議場へ一礼。氏なりの国会への敬意、か。公明党議席では一心不乱に中野洋昌議員が本を読んでいる。

枝野代表があいちトリエンナーレ問題に言及するとヤジが激しくなったのは、ある種の与党議員にとりなにが台風の目なのかをうかがわせる。NHKのゆうちょ報道問題とからめて報道、表現の自由の意義を強調する枝野代表。「最大与党の皆さんも党名に掲げる『自由』と『民主』を真に大切であると思うならば、この危機感を共有できるはず」とどうにも冴えない皮肉。

安倍総理が答弁を始めた。枝野代表は報道の自由について言及していたが、「安倍政権への連日の報道をみてもわかる通り・・・」という答弁をする総理。自民党議席前方の杉田水脈議員らが拍手を送る。「報道の自由表現の自由は尊重されるべきことは言うまでもなく、憲法に基づいてしっかりと保障されていることは、『立憲』を党名に掲げる枝野議員ならばご理解いただけるものと思う」といつもどおりの切り返し。合間に答弁が進むうち、甲高い声のヤジが聞こえてきた。自席から枝野代表自身がヤジっているようだ。

つづいての登壇者は自民党二階派の番頭格、林幹雄元経産相共産党議席から志位委員長と穀田恵二議員が所用か退席する。冒頭から台風15号に触れ、細かに被害を説明する林氏に「くるぞ・・・」という議場の空気。通信障害をめぐっては「強靭な通信網整備が急務」、さらに「東京五輪を見据えたとき、公共交通機関の強靭化は喫緊の課題」という言葉が飛び出した。合間には「武田防災相は就任翌日に千葉県の被災現場を視察した」と自派閣僚のアピールも忘れない。そうしてたたみかけるように、「全国1741の自治体のうち、わずか115市区町村でしか策定されていない国土強靭化地域計画を早急に策定する必要がある。地方創生と国土強靭化を調和させることも効果的です」との大見得。国土強靭化を唱道する二階派ならではの芸術的な技倆である。議場をみると、すっかり髪が真っ白になった務台俊介議員。林氏が防災の重要性を訴えるなかでの登場は皮肉なタイミングである。

自民党公明党が連立を組んで20年を迎えたいま、この道のりは間違っていなかったことを心から実感する」としめくくった林氏。興味深い言葉である。公明党議席では相変わらず中野議員が読書にふけっている。

閣僚として初めて答弁に立ったのか?西村康稔経済再生担当相に自民党議席から「よーし!」とかけ声。つづいて小泉環境相が答弁に立つと、ひときわフラッシュがたかれた。小泉環境相にも「よーし!」。心なしか西村大臣より大きい気が・・・。

「ギチョーーーーー」。最後に「呼び出し」をする議事進行係は福田達夫議員。やや長いが、いい声だと思った。「本日はこれにて散会されることを望みまーーーす」。呼び出しを生で聞くと、久しぶりの国会傍聴も悪くない。

追想「宮崎哲弥に訊け!」

TBSラジオに「BATTLE TALK RADIO アクセス」という番組があったことは、関わった当人たちですら忘れているかもしれない。1998年に始まり、2010年に終了した。リスナーが電話でパーソナリティに意見を開陳するという微温的な番組だったが、1年に一遍、きまってアシスタント役の渡辺真理が視聴者に嫌味を言われるスリリングなシーンもないことはなかった。  

 

そのパーソナリティのひとりに名を連ねていたのが宮崎哲弥だ。出番は火曜日と水曜日を行ったり来たり。開始から一貫して出演しつづけ、朝生には「ラジオパーソナリティ」という冠で出たことすらあったというが、終了を待たずに09年12月をもって降板した。このころの宮崎は「スッキリ!」などいくつかの番組を降板しており、アクセスもそのなかのひとつになった格好だった。私がいちばん熱心に聴いていたのは(というかこれしか聴かなかったというのが)宮崎の回だった。このころの宮崎といったら、週ごとに「もう解散総選挙しかない!」とアジり、いまでは私事で記者の職を追われた武田一顕や、ご案内の通りの上杉隆と「政局観察三人委員会」の名で甲高い笑い声を響かせていた。隔世の感がある。  

 

この番組は放送が終わる間際の23時40分過ぎになると「アクセス特集」というパーソナリティのフリートークコーナーを流した。田中康夫えのきどいちろう二木啓孝といった面々がアシスタントの渡辺や麻木久仁子に好きな話をするだけ。例外が木曜パーソナリティだった井上トシユキで、彼だけは提供元のNECが仕切るコーナーでよくわからない相手とよくわからない話をしていた。他のパーソナリティよりも立場が弱いのかしら、とつまらぬ勘ぐりをしたものだが、以来私は井上が好きである。  

 

そのアクセス特集で、宮崎だけは毛色の違う「宮崎哲弥に訊け!」というコーナーをやっていた。内容は宮崎が自分で選んだ曲を流すというもので、論壇オタクに足を踏み入れかけていた私にとって魅力的な企画だった。最初に聴いたのはマット・ビアンコの「HIFI BOSSANOVA」だった記憶があるが、違う気もする。2、30秒ほど曲を選んだ所以を語り「(アーティスト名)で(曲名)です」ではなく「(アーティスト名)、(曲名)」というぶっきらぼうな紹介をするのがお決まりだった。  

 

このあいだ、ふと思い立ってこのコーナーの名前でネット検索すると、ひとつとして記事がないことに愕然とした。なんとか記憶があるうちに書き残しておかねばならない、と思った。  

 

さて、記事はひとつとしてないと書いたが、肝心の音源にはひとつだけ触れることができる。宮崎の最後の出演となった09年12月23日の回(https://youtu.be/zkCvztjSX34 )だ。この回で宮崎が流したのはミズノマリ「東京の街に雪が降る日、ふたりの恋は終わった。」。ここで宮崎は、98年10月6日の最初の出演で紹介したのは、トッド・ラングレン「Believe In Me」だったと語っている。  

 

私にとって印象深い選曲は、09年の夏前だったか、「政治は混迷を深めていますが、さわやかな曲を」という旨のことを言ってかけた、いきものがかり「ブルーバード」だ。キリンジの楽曲から『エイリアンズ』という書名をつける宮崎の姿といまひとつ重ならない選曲で、意外さが面白かった。  

 

覚えている限りでは、以下の曲を流していた。 

Akeboshi「Wind」 

Nona Reeves 「1989」  

benzo「落下ドライブ」 

paris match「CDG」 

paris match「空っぽの君と僕」 

斉藤和義「幸福な朝食 退屈な夕食」 

長谷川きよし「黒の舟唄」 

エルビス・コステロ「She」 

井上堯之「青春の蹉跌のテーマ」  

 

「最近昔の曲の番組にハマっている」と言ってかけたのは高田みづえ「私はピアノ」、忌野清志郎の死去を悼んで流したのはRCサクセション「SUMMER TOUR」だった。親しい友人が亡くなったといって選んだ曲があったが、それがまったく思い出せず残念である。  

 

livedoorしたらば掲示板に「てっちゃんねる〜宮崎哲弥〜」という、宮崎を軸に論壇の話題を扱う掲示板があった。いつごろなくなったのか記憶がはっきりしないが、11年ごろにはもうなかったと思う。私も浅羽通明のスレを立てて無視されるなどの愚かな行為をしていたが、ここで知ったところによれば、宮崎はアシスタント役の山本モナの降板にあたってはCORE OF SOUL「In Your Arms」をかけ、山本のスキャンダル発覚が起きるやBaby boo「一歩ずつの勇気」を流したそうだ。粋な心遣いである。Maroon5Sunday Morning」という選曲も紹介されていた。  

 

宮崎のキリンジフィッシュマンズ、ザ・バックホーン、小沢健二らへの嗜好は活字などの形で知られるところだが、「宮崎哲弥に訊け!」に関しては風化が進む一方だ。ぜひネットの集合知で、他の選曲を知る方があれば教えていただきたい。

 

衆議院本会議傍聴(2017年9月28日)

 たまたま休暇にあたったこともあり、衆院本会議を傍聴してきた。約5ヶ月ぶりのこと。言うまでもなく解散の瞬間である。

  衆院解散には苦い思い出がある。前回、2014年の解散(どうでもいいが私の誕生日だった)は間に合わず、見逃していたのだ。「フライング万歳」などと騒がれた解散だっただけに見逃したのは痛かった。議場へ入れなくとも待合室のモニターで見たらどうか、と言う同行の友人の声も聞かず、ふてくされて永田町を飛び出したのをよく覚えている。

  悔しがってばかりいてもしょうがない。先に進めよう。

  前回の反省もあり、早く行くことにした。傍聴整理券の頒布は午前8時からということだったから、その40分ほど前に着くようにした。前夜は眠れず(これは期待などでなく、単に眠くならなかっただけ)、一睡もできぬまま家を出た。

  衆議院の待合室前に到着したのは午前7時15分ごろ。寒い。雨が降っている。寒い。そうして誰もいない。遠足に早く来すぎたような気分だった。衆院解散、しかもこの政局である。「大義なき解散」に反発する向きもたくさんいるだろう。なぜいないのか。私しかいないのはなぜなのか。

  5分か10分ほどしたところにもうひとり来て、さらに経ってちらほら参集するという具合だった。午前8時に扉が開いたときにいたのは10人程度。やはり早く来すぎたようだった。

  整理券をもらって、寝るために塩崎ビルのカフェに移動した。外には運動家ひとり、街宣車1台ない。機動隊のバスも見えず静かな朝だ。そうして何時間か時間を潰し、眠ったのか眠れなかったのかよくわからぬ状態でまた国会に向かった。向かう道には8時過ぎにはなかった機動隊のバスがあちこちに停まり、先ほどとは景色が一変していた。

  ひとしきりチェックを終えて議場へ。と、傍聴席に入った瞬間私は憤激した。すでに「先客」がいるのである。当日整理券を交付された傍聴者に関しては私たちが筆頭、だから当日来た者が先に入るはずはない。何者かといえば議員紹介の傍聴者だ。議員が後援会のメンバーを呼び、傍聴させるというのはままある光景だ。今回はそうした議員紹介の傍聴者が前方を埋めていたというわけだ。

  本会議の傍聴をするうえで、席の位置は重要だ。サッカーを観るわけではないから別に議場の全体像を俯瞰する必要はない。むしろできるだけ前に行って、ひとつひとつの議席が見えるようにしなければいけない。遠ざかれば遠ざかるほど議席の氏名標はぼやけ、議員の顔も見えづらくなるからだ。そうなったらヤジがあったり人と人が話し合っているときなど、誰が誰なのかわからなくなる。私は「それ」を目的に来ているわけだから、上手くゆかなければ来た意味はない。だから前をとりたいのだ。そういうわけでいたく私は憤慨した。

  が、考えてみればこの人たちは、議員の後援会員として日本の議会政治を支えているのだ。政治の周縁で面白半分に好き放題をしている口舌の徒の私よりずっとずっと大切な役割を果たしている。こちらのほうが早く来た、といっても普段の行いから考えればそちらのほうが贔屓される理由はあるではないか。このように思い直して文句を言うのはやめにした。

  しかしそれにしても見えにくい。どうしようか、と思っていたところに議員がひとり入ってきた。一番乗りである。背丈に頭の形、そして議席の位置・・・中川俊直議員だった。議席に姿勢よく座る。彼は無所属だから党の代議士会などに出席する必要はない。この時間に議場へ入っているというのはそういうことだ。

  野党もちらほら入ってきた。「希望」組にその左は公明、公明党議席を見ると定年延長が決まったばかりの桝屋敬悟議員が柵につかまり議場を一望していた。石田祝稔政調会長後藤祐一議員と声を交わし、東京ブロック選出の高木陽介議員は敵情視察か「希望」の議席に歩み寄り挨拶をする。後ろを見ると今期限りで引退をする川端達夫副議長が井上義久幹事長と話していた。

  自民党議席では、「アル中」報道で騒がれ地元県連から愛想をつかされた橋本英教議員が渡辺孝一議員と雑談。淡々とした様子である。

  大島理森議長が入ってきた。一気に静まる。普段ならば解散の高揚でざわめきは止まないところだが、民進共産が欠席しているせいか調子が違ったのだろう。

  「諸君・・・」と大島議長。諸君?大時代的な表現が平気で使われる国会の場においても、なかなか聞かない言葉だ。「第194回国会は本日召集されました。これより会議を開きます」。通常は政府四演説を行うときなどに宣せられる文言だが、臨時国会冒頭の解散ということでここで聞くことに。仮議席を指定した途端に議長席後ろの扉が開き、紫の袱紗を持った菅義偉官房長官の姿が見えた。これしかないというのはわかってはいるが、こんなにすぐに解散詔書を読むものなのかという違和感を覚える。

  菅官房長官が向大野新治事務総長に紫の袱紗を渡し、向大野事務総長はそれを丁寧に検める。傍聴席から見ても明らかなほど緊張した様子で向大野事務総長は大島議長に詔書の写しを手渡した。大島議長はゆっくりとした口調でそれを読み上げた。

  このとき議員のうちの幾人かの脳裏に去来したのは前回解散時の奇態であったに違いない。あのとき、伊吹衆院議長が「・・・御名御璽」と言いかけたところで万歳三唱が始まり、「やり直し」をすることになったという出来事があったことは記憶に新しい。ちなみに、あれは「御名御璽」までは読まないという慣例を守らなかった伊吹氏に責任がある(読むにしてもあらかじめその旨伝えるなどやり方はあったはずだ)。そして少なくともそれまでは「御名御璽」を読まないで万歳三唱をするのが常態であったのだから、あの万歳に「フライング」という形容をするのも事実に反しているのだ。ともかくそんなことがあったものだから、まるで大島議長がどう出るかを確かめるかのように、朗読が終わったあとも沈黙が続いた。

 そこに不自然な沈黙を破るようにひとりが大音声で「バンザイ!」と叫んだ。自民党議席端、山梨2区で同党現職と公認を争う「無所属二階派」の長崎幸太郎議員だ。流れができたとみたのか、周りもそれに追随する。議場全体で万歳三唱が始まってからも、ひときわ長崎議員の声は響いていた。 なんというか全体的にはバラバラな印象。2012年の解散を見に行ったときには地の底から響くような万歳三唱に圧倒された記憶があるが、今回はまったくそのような感動はない。

  万歳三唱が終わると始まるのは拍手だ。ところが、ここでも拍手をするのにみな二の足を踏んでいる(体感的には万歳三唱が始めるよりも拍手が始まるまでのほうが長かった気もする)。すると長崎議員がまた拍手を始め、周りも追随した。二階幹事長の影があちらこちらでちらついた政局だったが、最後の幕引きまで二階派議員が飾るとは平仄が合いすぎる。ともかくも、長崎議員の気合が光った本会議となった。

  解散詔書朗読、万歳三唱が終わるとあとは議員は議場を去るのみだ。自民党公明党、維新「希望」などの議員がそれぞれ握手して別れを告げる光景が目に入る。しかし、何よりもここにいるべきだったのは「戦い方」すら定まらぬ民進党議員ではなかったか。どの党よりも不安や高揚感を色濃く漂わせたであろう彼らの「退席」を見ることがかなわなかったのは残念だった。解散の儀式を経て、いよいよ各党各候補は選挙戦に突入するが、この本会議以上には元気にやっていただきたい。そんな盛り上がりに欠ける衆院解散だった。

 会議が終わって、初対面のアウ爺さん(@augst48tokyo)にご挨拶をした。アウ爺さんはきれいな街頭演説の写真(というか政治家の写真)を撮られる方だ。ひとしきり解散をめぐる話をしたあと「どこかの演説でお会いすると思いますので、また」と言って別れた。街頭演説で鉢合わせをするというのはマニアのあるあるである。

 そんなわけで、私も投票日前日までしっかり追ってゆきたいと思う。今回も面白い出来事も遭遇できるよう祈るばかりだ。

 

 

 

 

 

内閣改造雑感

内閣改造が近づくころの政局好きの姿は悲惨極まる。偏執狂的に情報を追い、ひとたび報道が出れば眼光紙背に薮睨みに想像妄想を尽くして必死に人事の絵図を掴もうとし、大体の場合においてそれは外れる。不毛であり奇怪としか言いようがない。そして自分自身がそうした人間の典型なのだから、振り返って暗い気分になる。
 
産経新聞7月8日付朝刊の1面に掲載された記事はそんなマニアたちの心を躍らせたに違いない。岸田外相が交代し「党要職」に、その後任には茂木政調会長が有力というのだから。他紙の報道が麻生副総理や二階幹事長の留任を伝えるに留まるなかでこの記事は二歩も三歩も進んでいた。
 
まずはこの記事の内容を確認しておこう。
 
岸田外相が閣外に出、「党要職」へ就くという。そして後任外相には茂木政調会長が有力と。また、甘利元経済再生担当相が「党要職」に。党執行部では高村副総裁・二階幹事長・竹下国対委員長、閣内では麻生副総理と菅官房長官を留任させるが、稲田防衛相や塩崎厚労相を交代させる方向としている。細田派の議員については「多くを党務に専念させる」という。
 
まず問題になるのは「党要職」とは何かというところだ。すぐに連想されるのは党三役のどれかだ。ただし幹事長については二階幹事長の留任が確実視されている。と、なれば候補は政調会長か総務会長に絞られるだろう。
 
この記事では政調会長については「憲法改正でも党内外の調整役となる」と触れられている。読みようによっては岸田氏にも甘利氏にも「はまる」表現だ。穏健なイメージの強い岸田氏ならば、「右傾化」「タカ派」などといわれる現政権の憲法改正に(実際の帰趨は別にして)異なった色合いを感じさせ、円滑に進められる、と総理が考えても不思議ではない。あるいは甘利氏の場合であれば、総理の意を体して憲法改正を「軌道通り」に進めるという具合にも考えられる。つまり様々な読み方のできる表現であり、さらに言えばこれで人事の流れを掴むのは難しい。
 
岸田氏が就くポストは比較的限られてこよう。外相から充てるとすればそれなりの重みのあるポストが必要になってくる。三役以外で充てても不自然ではないポストとしては党選挙対策委員長が浮かぶ。
 
総理は第2次安倍改造内閣の党役員人事で経産相だった茂木氏を選対委員長に充てたことがある。外相から就くのもやや格下の感は否めないが、不自然とは言えない。
 
現政権下の選対委員長の顔ぶれを見よう。最初に就いたのが、総理と同じ山口県選出でかつては派閥も一緒だった河村建夫氏だ。同じように総理の「仲間」として入ったとみられるのが、総理と長年の盟友関係にある現任の古屋圭司選対委員長。間を挟む茂木氏は総理の「仲間」とは言い難いが、手腕は総理に信頼されている。これらの要素を見る限り、「安心して仕事を任せられる」ということが、総理のなかにあって選対委員長の条件なのだろう。
 
では、岸田氏はどうか。
 
外相としての手腕は総理のよく認めるところだ。「安倍外交」というのは半身においては「岸田外交」と言い換えてもよいし、戦後2位に達する長期在任はまさに総理の信頼の表れといえる。ただ、それが選対委員長への抜擢につながるかといえば、簡単には言い難い。選挙というのは政権の命綱であり、大げさな言い方をすれば選対委員長に充てるというのは自らの命を任せるに等しいのだ。党内外から(その実質は別にして)「保守本流」「党内リベラル」としての行動を求められ、様々な憶測を呼ぶこともある岸田氏に任せるというのは一種の賭けでもある。結局このポストに岸田氏が就くかどうかは総理の信頼の度合いと岸田氏に求める役割によって決まってくるのではないだろうか。
 
ただ、総理が岸田氏に選対委員長に任せるということは、それまでの選対委員長人事とは異なった色合いを帯びる。自らの政権の命運を託す以上、岸田氏がその役割を果たせば後継を委ねる可能性も持つということである。無論、政権の禅譲ということがそうたやすく行えることなどないにしろ、総理の意思が後継レースのなかで大きな影響を及ぼすことは考えられてよい。実現すれば、岸田氏が選対委員長に就くインパクトは大きいのだ。
 
さて、もう一方の「党要職」候補である甘利氏に話を移そう。私が最初にこの記事を見たときに思ったのが「『甘利税調会長』かな・・・?」ということだった。甘利氏は「インナー」と呼ばれる党税調の中心メンバーであり、経済再生担当相時代には減税策にも携わっている。宮澤洋一現会長の起用をはじめ、官邸の党税調掌握が指摘されるなかで、甘利氏の抜擢はその流れにぴったりとはまる。地盤沈下をあげつらわれる党税調会長ポストだが、しかし甘利氏のキャリアからいっても悪くはない。これは甘利氏のポストの有力候補第一。
 
次に考えられるのが政調会長再登板だ。甘利氏は2012年9月の安倍総裁誕生から同年12月に第2次安倍内閣が発足するまで政調会長を務めていた。政策通であり、総理と気脈を通じる氏には適任のポストだ。
 
党三役というのは目立つポストだが、閣僚に比べて違う点は国会出席の必要がないことだ。野党議員からの追及に答える必要がなく、比較的「前科」のある人物でも就任のハードルは低い。宮澤内閣の党総務会長を務めたのは文字通り「前科」持ちの佐藤孝行氏だったが、後に入閣した際にはロッキード事件での逮捕歴が非難を浴びて2週間足らずで辞任した氏も、このポストは最後まで務め上げている。党の役職は脛に傷ある身のお勤めにも適していて、スキャンダルで閣僚を退いた甘利氏でもなれないことはない。とはいえ、それまでのような事情がこれからも通じるかは簡単には判断し難いだろう。いくら国会出席のない党三役といえども、今のように政権の緩みが騒がれるなかで就ければそれなりの反発は避け難い。甘利氏が政調会長に「就けるかどうか」は見極め次第となる。
 
もっとも甘利氏と岸田氏でいえば、総理と気脈を通じる甘利氏のほうが総理にとって政調会長に充てやすいのは間違いない。その点で注目するべきなのは7月2日の都議選開票日に、総理と甘利氏が麻生副総理・菅官房長官とともに会食をしていた事実である。麻生・菅両氏が次の内閣でも主力として活躍することが確実なことを考えれば、甘利氏も「それなりの立場」でこの会食に臨んでいたことは想像に難くない。改造後の最大の課題が憲法改正ということをみれば、ここで総理が甘利氏に政調会長就任を要請したことも考えられるのではないか。私はこの会食の存在は重要とみる。
 
私は甘利氏が政調会長に就く可能性はやはり高いと考えている。そして甘利氏が政調会長に就くとするならば、岸田氏のポストは必然総務会長か選対委員長というところに落ち着く。
 
総務会長は岸田氏にこそ適任のポストだろう。党の意思決定の中枢機関である総務会は「うるさ型」議員の集まりであり、穏健な岸田氏にはそのまとめ役にはまる。官高党低の構造のなかでさほど政治力の求められるポストではなくなっていることも党務慣れしない岸田氏にとって助かるところではないか。
 
以上、産経新聞の記事を下敷きに岸田・甘利両氏の人事について書いた。が、これもどこまで当たるものかわからない。2,3週間前の人事報道に惑わされ、組閣直前の読売新聞の記事で予想の外れを思い知らされるのがマニアの常である(読売の人事報道の的確さは恐ろしい)。この文章を書いている間にも朝日新聞が「岸田外相留任」を報じているのだ。そこで一遍産経の報道を頭から落として、改造の基本線を考えてみたい。
 
まず、改造の規模だ。これまでの流れを断ち切る以上、相当に幅の広い改造にならざるを得ない。総理は「人事の骨格を維持する」と公言しているが、言い換えれば骨格ならざる部分はどんどん変えてゆくと考えられる。問題の稲田防衛相や金田法相は当然に交代(稲田氏は改造よりも先に辞任する可能性も高いが)、その他の失点のない閣僚も外れるだろう。
 
後任人事の性質はどうなるか。この場合浮かぶのがふたつの類型である。ひとつは気心の知れた議員で固める「お友達内閣」型、もうひとつは「挙党一致」型だ。
 
「お友達内閣」型というのは無論明確な定義があるわけではないし、しているわけではないが、党要職や閣僚の相当部分を自らに近い議員で固めればこの形容に当てはまるだろう。こうした類型に当てはまるのが幹事長・財務相を総裁派閥で固め、その他多くの閣僚も総理に近い議員が占めた第1次安倍内閣であることには異論は少ないと思う。ただ、「お友達内閣」というのはあまり見られるものではない。派閥全盛時代であれば、派閥均衡人事が前提とされるなかで総理の人事権は制約されたし、小泉内閣以降でもせいぜい麻生内閣にその色合いがみられる程度だ。基本的にはバランスのある、永田町でいう「枝ぶりのよい」人事が組閣の常道となる。歴代総理の人事の味というものはそうした制約のなかでいかに独自色を見せるかに表れていた。
 
話が逸れたが、ともかく「お友達内閣」は珍しいものであり、よほどのことがなければ実は生まれるものではない。
 
それではこの政権最大の難局という「よほどのこと」に総理は「お友達」で固める選択をするだろうか?
 
私はそうはしないと考える。注目したいのは約10年前の第1次安倍改造内閣の人事だ。このとき安倍内閣は閣僚のスキャンダルで非難の嵐、年金問題と相まって参院選で惨敗し、死に体だった。そうした状況のもと安倍総理が行った閣僚人事は古典的な「挙党一致」型だった。官房長官を盟友の塩崎恭久氏から直言タイプの与謝野馨氏に代えたのをはじめ、閣僚はきれいに派閥均衡、党全体のバックアップを供給できる体制をアピールした。一方で党の人事は「挙党一致」とは言い難い。幹事長に親密な麻生太郎氏、政調会長に盟友の石原伸晃氏を起用した。内閣・党全体を見ると単純な「挙党一致」というより、「『お友達』エリアを残した挙党一致体制」と形容するべきだろう。このときの人事を手がかりに今回の改造を考えるとある程度見通しが浮かんでくる。つまり、今次の人事で指すところの「骨格」とはここで言う「お友達」にあたり、そうしたエリアを温存しながら挙党一致体制を構築することが考えられるということだ。そのようなことから考えれば、第2次安倍改造内閣でみられた「岸田派偏重」や「石原派冷遇」、あるいは現内閣の「谷垣グループ冷遇」のような現象は考えづらい。どの派閥にもポストが行き渡る人事が行われるのではないか。
 
ここから先はいささか各論に亘る。まず、参院の扱いだ。
 
先の通常国会参院は大きな得点をあげた。つまり、「テロ等準備罪」法案について会期延長が当然視されるなかで、力ずくで会期内の成立を遂げたのだ。その功績は官邸にとって大きいはずだ。立役者と言われるのは参院自民党の実力者である吉田博美幹事長であるが、余人をもって代え難い以上吉田氏自身の入閣はないだろう。吉田氏に近い松山政司参院国対委員長の入閣がかなりの程度考えられる。その他、中川雅治参院副会長も有力候補だ。
 
今年に入って起きた党内政局で目立つのは麻生派山東派谷垣グループ離脱組による派閥再編である。党内第二派閥となった麻生派が人事でも厚遇を求めるのは間違いない。もっとも、先述したように「挙党一致」体制の構造ではあまりにも露骨な厚遇人事は考えづらいだろう。
 
麻生氏が強く推すとみられるのは、旧山東派の議員だ。自らの領袖としての求心力を確保するためには派の基盤を固める必要がある。そうしたことを考えれば、自らの系統とは異なる議員の入閣にも配慮をしなければならない。旧山東派から伊藤信太郎北川知克両氏の入閣は十分考えられる。その上で派から適当な人数が入閣するのではないか。
 
「挙党一致」をアピールする上でウィングを広げる必要があるのが石破派と谷垣グループとなる。石破派からは現在山本有二農水相が閣内にいる。総理にすれば自らとも親しい山本大臣は留任させたいところだろうが、過去に発言が問題視されたこともある山本大臣を残すことは難しい。改造にあたっては親しい田村憲久氏、あるいは伊藤達也氏辺りの起用が考えられる。
 
次に谷垣グループ。総理が谷垣禎一前幹事長を深く信頼していることは間違いない。政権発足時から敬意は変わらず、また谷垣氏のほうもそれに応えて仕事をしてきた。が、派閥への対応は不思議なほどにそれに見合わない。現内閣も谷垣氏が幹事長から外れるや、佐藤国対委員長、中谷防衛相などが外れ、入閣者はゼロとなった。いわば同派は「冬の時代」にある。今回の改造ではそうしたところにも配慮をするものと考えられる。中谷氏の再入閣の可能性に加えて、あえて「万年待機組」逢沢一郎氏の入閣を予想したい。
 
さて、今回の人事でもっとも話題をまいているのは、小泉進次郎氏の入閣のありやなしやだ。小泉氏は否定しているが、人事を決めるのは総理である。何が起きるかはわからない。
 
小泉氏を入閣させるというのは、内閣にとってはメリットしかない。人気を引き寄せることができるのもさることながら、派手なポーズと裏腹にそつのない仕事をする小泉氏ならば実務家としても手腕を期待できる。総理は過去に総裁経験者の谷垣氏を幹事長にしたり、副総裁経験者の大島理森氏を衆院予算委員長に起用するなど、人事の「序列」に対しては柔軟な感覚を持っている。当選3回の小泉氏が入閣する可能性も十分にあるのではないか。この場合問題になってくるのは小泉氏が閣僚を引き受けるかどうかだろう。ことの次第では小泉氏の判断が問われる人事となる。
 
以上、つらつらと内閣改造について思うところを書いてきた。曖昧に見えるところはあえて曖昧に書かせていただいた。外すのが嫌だからである。外れるのは悔しい。途中に記したように、この時期の報道はめまぐるしく変わり、予想も無様なまでに外れてゆく。そうは言いつつも、ここまで固有名詞も出して書けば当たる部分と外れる部分はそれぞれ出てくるに違いない。8月3日は私のようなマニアの予想が無残に屍を晒す日になるだろう。
 
ここ数年はそんな悲惨な体験を何度もしている。それでもこうした予想をする理由は何よりも楽しいからだ。『自民党戦国史』で知られる伊藤昌哉が楽しみにしていたのは、各派の入閣候補を見て、人事の枝ぶりを考えることだったという。伊藤ほどの才覚はないけれども、その気持ちはよくわかる。
 
やや説明的に書いたが、それはあまりこうしたことに関心がない、よく知らない、という方にも読んでいただけるように書いたためだ。この楽しみを知っていただき、多くの「予想の屍」を招き寄せ、私の外れが目立たぬようになればありがたい。人事の予想というまことにくだらなく、楽しい遊びへの参入者がさらに増えてくれれば嬉しい限りである。

衆議院本会議傍聴(2017年5月9日)

衆議院本会議を観てきた。去年11月のTPP国会承認の衆院採決以来半年ぶりの傍聴。議題は鈴木淳司法務委員長の解任決議案採決だった。

人の入りはあまり多くなかった。重要法案の採決ではないし、野党の国会戦術の一過程であることを考えれば当然かもしれない。会議自体も特段盛り上がったわけではなく普段通りの印象だった。

開会ギリギリに受付所に飛び込み、チェックを受けたあと議場へ。ギリギリで飛び込んでも入れるのが傍聴人の少なさを表している。というのは本会議の傍聴というのは、重要法案の採決時には開会時間のずっと前に定員に達することもあるからだ。日によっては隠れた人気コンテンツでもあるのだが、その日のように注目されない会議であれば途中入りも可能というわけだ。

議場に入ると私は議員陣の動きを眺める。ここへ来る目的の半分はそれだ。演説会やテレビのスタジオに立たない議員の「生態」を見られる手段はこういうところしかない。そして期待の通りに、たまに変な見物に遭遇することもある。

さて、目を下ろすと佐藤勉議院運営委員長が鈴木俊一環境相の肩を抱くようにしながら入ってきた。佐藤氏は当時谷垣グループの所属。派内では麻生派谷垣グループ合流論の急先鋒であった。一方の鈴木氏は麻生派の所属で麻生副総理の義弟にあたる。佐藤氏の画策が派閥再編に消極的な谷垣グループにさざ波を広げるなかのこの光景。その3日後、佐藤氏は谷垣グループを離脱し、麻生派への合流含みで自派を結成する。

次に目を奥にやると開会寸前で議席へ駆け込む議員が。盛山正仁法務副大臣である。盛山氏の上司にあたるのが今国会の三枚目役者と化した観の金田勝年法務大臣だ。何かと忙しいのだろう。盛山氏の苦闘(?)を感じさせるようなこのダッシュ。

大島理森議長が議場へ入ってきた。このときに起立する議員を尻目に座り続けるのが共産党の議員諸氏だ。もっとも自民党も野党時代は議長に対して起立しなかったし、民進党や維新の行儀がよいだけなのかもしれない。大島議長が開会を告げると「ぎちょ〜〜〜〜〜」と叫ぶのが議事進行係の笹川博義議員。ところでこの「呼び出し」にも巧拙はある。前任の橘慶一郎議員の呼び出しは首を絞められたような大声であまり上手くなかった。「巧」の方は遡って民主党政権時代の鷲尾英一郎議員。なかなかの美声で区切りもよかった。いまの笹川議員も割と上手いと思う。

解任決議案や不信任決議案の類は「趣旨説明」から始まる。このときの役は法務委員会で政府追及の中心だった民進党階猛議員だった。

「おばんでございます」と軽い調子で切り出した階議員はすぐさま今村前復興相の失言に言及。「関係ねえよ!」とヤジが飛ぶ。議席に目を移すと身体をよじり傍聴席を眺める平将明議員に、後方で何かを配る村上誠一郎元行革相。野党議席の方から「席につけ!」とヤジ。

今村問題について話し続ける階議員へのヤジは止まず、自民党若手のヤジ将軍・山田賢司議員が「東北に失礼だろ!」と叫ぶ。本題の解任決議案に入る階議員は「案文」を弁護士らしく「主文」と言った。激しいヤジが飛ぶなかで議場内交渉係が議長席脇に集まり、時折議席を見ながら鳩首協議。終わると長島忠美議運理事が自民党若手の議席に下り、両手を広げながら何かを訴えていた。

階議員、法務委員会の「政府参考人出ずっぱり」に言及する。「細目について訊いていないのに法務大臣が出ないのはおかしい」というところに「だったら通告しろよ!」とヤジ。これは昨秋に問題になった階議員の質問通告遅れを当てこすったものだろう。隙があるとこのようにすぐヤジの材料にされてしまう。そして階議員は土屋正忠議員との一件について言及した。途端に「暴行罪!」などと激しいヤジ。野党議席からも激しくヤジる議員がいた(なんとなく誰かはわかったが、自信がないので伏せる)そんな傍ら与党議席端で居眠りするのが武藤貴也議員。強心臓である。

与党への非難を続ける階議員は、「オウム事件に端を発したようなこの法案だが、(質問の鸚鵡返しを繰り返す)大臣ももう一つのオウム事件を起こしている」と爆笑問題の出来損ないのような皮肉を一閃する。即座に轟々たるヤジが起き、大島議長も静粛を求めるが効かずに混乱。議場内交渉係が演壇に上がった。与党議席中央を見ると宮川典子議員が往年のハマコーばりに机を叩いて猛然とヤジを飛ばしていた。録画映像中ずっと聞こえる女性のヤジは大体宮川議員のものだ。「オウムの被害者に謝れ!」とヤジは止まず、階議員も与党議席を気にしている様子だった。

与党議席端を見たら村上誠一郎元行革相が若手の小林鷹之議員に近づき何かを伝えていた。小林議員は財務官僚出身。これは数日後に報道された、村上氏が事務局長、野田毅元自治相が会長の財政再建勉強会の連絡だったのかもしれない。一方、野党側議席端を見ると小沢一郎氏がいつのまにか着席していた。小沢氏は遅刻するのが平常で、いつのまにか議場に入り、いつのまにか去っている。おそらくは国会が嫌いなのだろう。

階議員のほうに目を戻すと混乱は収まらず、与党議席からは「もういいよ!終われ!」と悲壮なヤジが聞こえる。このとき既に1時間近く経っていた。検事出身の山下貴司議員は「TOC条約は…」と専門的で内容に触れたヤジを飛ばす。あまりヤジを飛ばすイメージがなかったのでこれは意外に思った。

階議員の演説、「(自民党の)今は引退されていますが…」でどうせ山崎拓とかお決まりのメンツの嘘くさい言葉を引くのだろうと思ったら、「早川先生はじめ…」でまさかの早川忠孝氏登場。これには笑ってしまった。そして「公明党の皆さん!」と公明党に呼びかけたところに「この法案は宗教団体を含めて…」と攻めたアピール。公明党への嫌味にしか聞こえなかった。そうして階議員の趣旨説明は約1時間で終了。

反対討論をしたのが法務委員会の自民党理事である宮崎政久議員だった。冒頭で直前の「もう一つのオウム事件」発言を批判したあと、本題に。議場入り口を見ると森英介憲法審査会会長が入ったり来たりしている。内容自体はこれというものはなし。演説は安定感があった。

賛成討論をしたのが民進党理事の井出庸生議員。真面目な雰囲気だが、前ふたりに比べると演説の技術は劣る印象。

ふと民進党議席前方を見ると松田直久議員がスマホをいじっていた。これには感心しない。議場内のスマホ使用は一部閣僚の緊急時の使用以外は禁じられている。ただ与野党問わず使う議員というのは絶えず、傍聴すると毎回2,3人は使っているところを目にさせられる。

共産党から賛成討論に立ったのは藤野保史議員だった。藤野議員も法務委員会で政府追及の急先鋒だった。「広範な個人や団体から反対の声が寄せられる」といういかにもな共産党調の演説に徹し、少々憑かれたような印象。自民党議席を見ると、採決に滑り込むように小渕優子経産相が議場入りしていた。演壇の藤野議員はというと、金田法相のモノマネに聞こえなくもない答弁の再現をしていて、ここだけはちょっとよかった。

そして討論が一巡し、採決に。内閣不信任案などは大体が「堂々巡り」と呼ばれる記名投票で行われるが、この日は起立採決ですぐ片付ける格好。反対多数で否決。

 首班指名選挙で総理に指名された議員が起立をし、拍手の中議場の四方にお辞儀する光景を見たことがある方は多いだろう。面白いのはこうした委員長解任決議案でも、否決された委員長が首班指名よろしく起立して周りにお辞儀をするのだ。このときにも与党議員の拍手のなか鈴木委員長が起立。政府の姿勢や野党の対応などが話題に上った本会議の中で、唯一「主役」の顔が見えた瞬間であった。