安倍元総理追悼演説傍聴(2022年10月25日)

25日を代休にして、野田佳彦元総理による安倍晋三元総理への追悼演説を傍聴しに行った。

午前6時に家を出た。たいがい国会傍聴というのはマニアしか行かない。そんな場合は開会ギリギリでも傍聴席に入れる。しかし、重要法案の審議など世間の耳目を集める日というのは違う。早めに整理券を確保しなければ門前払いを受けるのだ。

午前7時すぎに到着。一番乗り。当たり前だ。いくらなんでも早すぎる。自分の馬鹿さ加減がいやになる。

8時に受付が始まった。私と同様に並ぶ人は数人程度しかいない。衛視から「きょうは議員紹介の傍聴者が多いので入れない場合もあります」と伝えられた。以前にも書いたが、議員紹介の傍聴者は優先的に通され、一般の傍聴者よりもいい位置に座ることもままある。これは私はしかたないと思っている。インターネットで吠える口舌の徒よりも、後援会活動などで議会政治を基底で支える人のほうが優遇されるのは当然である。それに、経験則的には、議員紹介の傍聴者ですべてが埋まることはない。

時間をつぶして11時に町村会館へ。初対面の栗鼠島(Twitter:@Kaikaku_forum23)さんをお誘いし、先方の案内で地下の「ペルラン」で昼食をとった。しゃれたネクタイをされていて、よれた背広を着たこちらは冷や汗をかく。国会近くにこんな店があるとは知らなかった。二階派の仕出しもしていた伊豆栄は閉店してしまった。目下墜落中の細田博之衆院議長お得意で、政治家の来店も多い赤坂「ピッツェリアギタロー」は、正午前からの営業で時間的に厳しい。ここは店の少ない永田町で重宝しそうだ。

午後0時半から入場が始まる。入口の面会所受付に戻ると栗鼠島さんからTwitterのフォロワーという方を紹介された(IDもうかがったが、迷惑をかけるかもしれず伏せます)。お話しすると、以前に竹下亘の追悼演説に行かれたことがあるという。関西財界に関心があり、とりわけ関経連の松本正義会長に興味があるとおっしゃっていた。奇特な方がおられるものだと思った。人のことを言えた義理ではない。

議場に入って最初に目についたのは鳩山二郎議員。つづいて長坂康正議員と談笑するのはいま話題の斎藤洋明議員。0時52分ごろ、安倍元総理の遺影をかかげた安倍昭恵氏が入ってきた。カメラマンのフラッシュはたかれたが、議員は上にいることもあり気づいていない様子。直後に岸信夫・前防衛相が自民側の入り口そばの議席最後部裏に車いすをとめた。脇には紺色の小机が置かれ、こうして議席とするのかと妙な関心をしてしまう。右隣にはやはり体調不良の吉野正芳・元復興相も車いすで並ぶ。吉野氏もしばらく車いす生活をしている。

高木啓議員は入場時深々と一礼。鈴木英敬議員にあいさつした小泉進次郎・元環境相がにこやかに議席のあいだを歩く。氏名標を起こすのが心なしかやけっぱちのように映るのは吉川赳議員だ。追悼演説の日であろうが日常どおりで、これでいいとも思う。

閣僚も入ってきた。岸田文雄首相はあの歩き方。寺田稔総務相はこじんまりとした風情。大臣に耳打ちする秘書官のような。

「これより会議を開きます。さる7月4日に逝去されました議員安倍晋三君に対し弔意を表するため、野田佳彦君から発言を求められております。これを許します。野田佳彦君」。細田議長が発する。声が小さい。お歳か、それともべつのことか。

モーニングコートに身を包んだ野田元総理が拍手に迎えられながら演壇に上る。さまざまな論議を呼んだこの追悼演説だが、野党席を含めみな拍手を送っていた。

「あなたは不帰の客となられました」。そうか「あなた」と呼ぶのかと思う。議場は拍手もためらわれる緊張に満ちていた。「初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りをとりかこむ、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明におぼえています。そこにはフラッシュの閃光を浴びながらインタビューに答えるあなたの姿がありました。私にはその輝きがただまぶしくみえるばかりでした」。名門政治家の系譜を背にする安倍元総理と、自衛官の家に生まれ、係累に政治家などいない野田元総理をくっきりと対照させる一言である。

「もっとも鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした」。野田元総理にとって、解散を約したあの党首討論をどう思っているんだろうと、気になっていた。「私は議員定数と議員歳費の削減を条件に衆議院の解散期日を明言しました。あなたのすこしおどろいたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬をけっして忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、たがいの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです」。少々、かっこよすぎる。野田元総理は泉下の安倍元総理をいまもなお「政治家」として遇しようとしているのではないか。「あなたは、いつのときも、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、かたきのような政敵でした」

そんな解散をして、はたして野田元総理は下野に至る。第2次安倍内閣親任式でふたりだけになったシーンを振り返った。「同じ党内での引き継ぎであれば談笑がたえないであろう控え室は、勝者と敗者のふたりだけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんのほうでした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、『お疲れ様でした』と明るい声で話しかけてこられたのです。『野田さんは安定感がありましたよ』『あの「ねじれ国会」でよくがんばり抜きましたね」『自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ』温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです」。受け止めによっては勝者の不遜な言葉である。むろん、安倍元総理に野田元総理をいやしめる意図はなかっただろう。それでも野田元総理のほうはそうは感じなかった。「そのときの私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした」と率直に認める。

「でも、いまならわかる気がします。安倍さんのあのときの優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを」。そう言って第1次内閣での失敗に触れ「あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間をすごした経験があったのですね」。内閣総理大臣という職業はどす黒い孤独に覆われる。これは、そんな感慨に満ちたふたりのあいだだけで交わそうとした言葉であっただろう。

当時の選挙で野田元総理は失言していた。「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」。振り返り、深々と頭を下げた。自民党議席に目を移すと、目頭をぬぐっているように映るのは池田佳隆議員か。

上皇陛下の譲位をめぐってふたりで密かに話し合ったエピソードを明らかにした後、声を張り上げて語った。「憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を5・15事件の凶弾で失いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。『人生の本舞台は常に将来に向けて在り』。安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来にあったはずではなかったのですか。再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった」

「勝ちっぱなしはないでしょう、安倍さん」

野田元総理の演説には、いつもユーモアと背中合わせになったペーソスが漂う。その真面目があらわれた一節だ。

演説の流れは変わる。「どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心のなかに、あなたのありし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまりつづけています」。そしてこうつなぐ。「そのうえで、申し上げたい」

「長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならないさだめです。安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした『問い』だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。その『答え』は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。そうであったとしても、私はあなたのことを、問いつづけたい。国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問いつづけたい」

政治家の追悼演説は難しい。同じ立場の議員ならば、ただ賛辞を述べればよい。賛辞を述べることはけっして悪いことではない。儀礼の場だからだ。

安倍元総理への追悼演説は少々違った。自民党内のみっともない混乱があった。野田元総理が演説を引き受けるかどうかをめぐり、極端な政治的感情を持つ野党支持者も騒いだ。

この一節が、野党政治家としての急進的な支持者へのポーズであったとみる向きがある。その一面はあるだろう。しかし、これが野田氏の遁辞でしかないとみれば、野党政治家としての野田元総理をおとしめるものだ。野田元総理は一貫して非自民の立場で歩んできた政治家だった。自民党政治に対する“敵”である。この一節は、野党政治家としての矜持をもった“追及”だった。

そして、こうつづいた。「政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。私はそう信じます」。万雷の拍手のなか、野田元総理が演壇を去る。

退席する昭恵氏に自民議員がみな一礼。演説が終わると、いつもどおりの国会だった。議事進行係の佐々木紀議員が「ギチョーーー」。「ようし!」。やたらと声がそろっている。小さな声の細田議長が裁判官弾劾裁判所などの人事をめぐり確認を進める。「裁判訴追委員に後藤茂之君」。あれ、後藤氏って新・経済再生担当相に内定しているのに。議場がざわめく。

岸田首相の発言に入る。山際大志郎経済再生担当相の辞任をめぐる陳謝だ。閣僚の辞任をめぐり、総理が時間をもうけて国会で発言するなど、はじめてみる景色である。野党議席からは「これで終わりじゃない」などとさかんにヤジが飛ぶ。立憲・逢坂誠二代表代行の激しい追及にも自民議席からヤジはない。つづく維新・金村龍那議員の発言に立民議席米山隆一議員が両手を口元に添えてヤジ。声が通っていない。国民・浅野哲議員、共産・塩川鉄也議員の発言がつづく。岸田首相の答弁に自民党議席からの拍手はまばらだった。

「このさい、暫時休憩いたします」。この日もっとも大きな細田議長の声だった。

その後の審議を途中までみて退席した後、野田元総理の演説を反芻した。

普通の追悼演説離れした、わずかに挑発をにじませたものだった。先述したとおり、野党政治家としての言葉だったのだろう。そして、ただの野党政治家の発言でもない、とも思う。政権交代のある景色になって、与党と野党、政治家とまた政治家の距離感はいっそうさぐりがたくなった。対抗意識はたやすく憎悪に転じる。憎悪はあってはならないわけではないが、みせられる側はいい気持ちではない。なにより、憎悪だけで与党と野党は付き合えない。

野田元総理にとって、あの演説には野党としての決意をみせる意図はあっただろう。もう一方で、直前の混乱をみるにつけ、政権交代ある景色にあって、対抗与党(対抗野党)への屈服や卑屈に堕さないながら品位を保つ、ひとつの語りかけ方を示していたようにも映る。それは、人間野田佳彦にとっては、政権交代によって味わった栄光と挫折に裏打ちされたものかもしれない。

ぶつけられた言葉に安倍元総理はなんと応えていただろうか。厳しく論駁するのも、“キレる”のも、政治家の花道である。戦闘的な政治家にとって、もっとも幸せな送別だったのではないだろうか。