石破茂はディーゼルの香りに酔う(石破・前原誠司鉄道トーク傍聴記)

「国際鉄道模型コンベンション」で日本信号ブースを訪ねた石破茂氏(21日、東京ビッグサイト


21日に
東京ビッグサイトで行われた「国際鉄道模型コンベンション」で「令和鉄道放談」と称した企画が行われた。だれあろう、政界鉄道マニアの両雄、石破茂氏と前原誠司氏が鉄道の話に興じる趣向だ。

 

特設会場には鉄道ファンがずらり。鉄道関連誌編集長の司会は開口一番「われわれの仲間として『石破さん』『前原さん』と呼びたい」という。「生臭い話を抜きに」とも話していたが、とりこし苦労ではないかもしれない。ともに防衛通でしばしば「タカ派」とも評されるふたりだ。話すことじたい、時期が時期なら憶測を呼ぶだろう(みたところ、政治部記者らしき姿はなかったが)。

 

「石破さんは特急出雲に1000回乗った」「前原さんは蒸気機関車を形式ではなく番号で語る」と紹介され、最初に話題を振られたのは石破氏だった。「石破さんの地元の特急『やくも』が国鉄色に塗り替わった」。「これはうちの選挙区ではないので・・・」。石破氏がおなじみの口調で返すと会場の笑いを誘った。「こないだね、因美線に何十年かぶりに気動車急行『砂丘』というのが走ったんです。国鉄時代の色って本当にいいね。ぜひみんな塗り替えてください。お願いします」。つづく前原氏も子どものころの思い出話を語り「やっぱり国鉄色っていいですね。来週、京都鉄道博物館に行くんですが、EF66の27、ニーナってご存じと思いますが、みてきます!」と宣言。会場から拍手を浴びる。

 

話題は特急やくもの新型車両導入に移った。「新しい車両って素敵なんですけど、なんだかわくわくしない。新幹線でも0系がよかった、寝台車でも20系がいちばん素敵だったんですけど、歳なんですかね」と石破氏。 前原氏は自身の撮影した鉄道写真の解説に入った。春の連休で磐越西線を訪ねたという氏が「大好きな場所」として挙げたのは三川(新潟県阿賀町)。「ここの四季を撮るのが本当に好き。早春の真白い雪、桜の季節若葉の季節もいい。三川の発車の汽笛が山のなかをこだまして夕刻出てゆく。すばらしい光景だと思います」としみじみ。 石破氏は特急「出雲」の思い出にひたる。身を乗り出して写真に見入りながら「このDD54はディーゼルなのにカッコよかったですね。DD54の引く出雲って本当素敵でした」。さらに急行「大社」に言及し「乗り通しました。非常に不思議なルートを通る急行でした。大学生で長い時間乗りたいと思った。しょっちゅう方向が変わり、ここはどこの世界(という感じ)」と振り返る。

 

石破氏は、司会からディーゼルの排気の臭いについて問われた。「ディーゼルが好きな人ってあのディーゼルの香りがなんともいえないのね。国鉄時代の車両ってなんともいえない不思議な香りがするじゃないですか。あれがいまのJRの列車のはまったくない。悲しいようなさみしいような」。実感の伝わる答えである。

 

話題は前原氏がはじめて撮った写真のことに。「小学校6年生の春休み、日豊線南宮崎電化が4月24日だったと思いますが、その直前。どうしても九州のSLに会いたいと。とくに私は門デフのC55が好き。親父が勤めを休んで4泊5日で京都から日南に乗って、小倉で降りて。鹿児島線から折尾、折尾から若松へ。『SLダイヤ情報』で調べたら臨時の貨物列車とすれ違うと。複線なんですね。待ち構えていたらD60の61号機。これはいまも保存されています。大好きな機関車です」。話はつづく。「最後のC61が牽くと。18号機が残ってまして。それが牽いてくると待っていたら細いボイラーでC61じゃないなと、なおかつプレートが赤かった。みなさんご存じのとおり、C57の117号機は最後のお召し列車を牽いたんです。C61ではなかったが、C57の117号機が私のいちばん好きなC57になった。この後の発車シーンも撮ってます」

 

会場スクリーンに国土交通大臣時代の前原氏が山梨県内で機関車を撮影する写真が映し出される。「D51はなかなかきれいに撮れない。気に入った写真はありません。本当に難しい」。両親が境港出身の前原氏は、子どものころは里帰りは急行「白兎」や夜行鈍行「山陰」を使ったという。鳥取出身の石破氏へ「米子機関区は私もなじみのある機関区」と話す。

 

前原氏の話の流れから、石破氏はサンライズ出雲が「私の選挙区は電化されていないので来てくれない」とぼやく。「DD51が引っぱるなら鳥取へ来ないかと言ったら『2階建てで車高が高い。明治のトンネルは通れない』とにべもなく言われた。乗ろうと思えば乗れないことはないが、直通じゃないって悲しいですね」。しんみりしたかと思えば、直後に三段式の寝台車の写真に「20系」と紹介した司会へ「これは14系」とぴしゃり。怖かった。

 

石破氏は寝台車に深い思い入れがあるようだ。「三段式のいちばん上は安い。天井のカーブがある。14系が電動でガーッと上がるようになったんですよ。20系までは寝台をつくる係がいましたからね。名人芸であっというまに組んでくれた。電動で動くようになって、すげえなと思ったがつまんねえのとと思いました」。14系になって乗り心地が悪くなったのではないかと問われた石破氏は「私は乗り心地を気にしたことがなく、乗れたら幸せ。そんなことはどうでもいいです」と力を込める。

 

前原氏も寝台車体験を語った。「京都から新幹線を逃すと急行「銀河」か出雲になる。出雲は東京につく時間が早い。ゆっくり乗るなら銀河。昔は東京温泉という銭湯があったんです。降りたら東京温泉へ行くと。そうすると野中広務先生がおられて、裸でごあいさつすることもありました。議員の方もけっこう利用されていたと思います」 。さらに前原氏はトワイライトエクスプレスに2回乗った話などをしながら「石破さんは北海道へ講演するときは飛行機ではなくて『北斗星』や『カシオペア』にしろというたぐいの方」と評す。「『だいせん』の話をすると石破さんに負ける。私が自信を持って言ったことをくつがえされたこともあったんです。政治の話もするんですけど、飲みに行ったら鉄道の話もして、だいせんのことは石破さんに聞かれたほうがいいです」と石破さんを指した。ふたりの関係性が伝わるではないか。

 

指名された石破氏と急行『だいせん』のつながりはこうだ。「最終の飛行機に乗れる時間に地元の会合は終わらない。出雲が出る時間にも、夜行バスの時間にも終わらない。そうすると急行『だいせん』にしか乗れない。100回は乗ったね」。さらに熱は増す。「北海道の選挙応援や講演はしんどいんです。時間かかるから。ほれほれと北斗星の切符をひらひらされると『行きます!』」「北斗星に乗ったことは孫の代に語りたい、ぜひ復活させてください」と訴えた。

 

司会はふたりへクルーズトレインについて問いかけた。「車体のなかを作る事業者は私の支援者」という前原氏は「いろんな価値を発掘して鉄道需要につなげる発想は素晴らしい」と評価する。石破氏も「ななつ星に2回乗った。夢のような時間だった」とべたぼめ。「感動これにまさるものはない。いかに危機的な夫婦でも救われる。すごいらしいよ」と軽い調子でつなぐと「付加価値って『この金を出してもほしい』の総和。そういうもんじゃないですかね」と評した。

 

会場のスクリーンには寝台車で見ず知らずの客が乗り合わせた写真が映し出された。「これはいいですよね」と感に堪えない様子の石破氏。「夜行列車の素敵さは半分地元というところ」といい、鳥取から東京へ出てホームシックになった高校時代を振り返った。しばしば東京駅13番線を訪れたが「(降車客が)地元の言葉をしゃべっている。東京にいながら地元の雰囲気を味わえる」と感じていたという。「夜行特急の寝台車に乗った人がけんかしているのをみた覚えがない。妙に仲良くなる不思議な空間」と懐かしんだ。

 

石破氏は乗客としても寝台車を愛している。「通るのは山間部だから電話は圏外。電話が通じないってこんなにうれしいことはない。個室で誰も来ない、電話がかからない、映画はみられる、酒は飲める。あそこでリセットしてさあがんばるかと。あの時間がなかったら議員はつづけられなかった」。 食堂車の思い出もあるという。「食堂車で農協や建設業協会が宴会をやっている。やたらめったら飲む。完全にふらふら。目が覚めたら財布がないことを2回やられました」

 

前原氏も食堂車には忘れがたい記憶を持つ。松下政経塾に合格した帰りの新幹線で前原氏は不安に襲われたという。「違う世界へ進むことでどんよりした気分になった。食堂車でビールを飲みながら窓をみて、自分自身を奮い立たせた」

 

駅弁が象徴するように、鉄道旅行は食と深く結びついている。石破氏は「コンビニ弁当で一日が終わる。すごく悲しいのね。これから先、農業、漁業の時代というからには、そこ(旅行先)のおいしい弁当があると、そこのお米を食べてみたいなとか気になるはず。世の中なんとなく味気なくなっている。感動が凝縮されているのが夜行列車。どうしたら喜んでもらえるかという方向に戻ってほしい」と訴えた。

 

トークライブも終わりにさしかかった。司会が「鉄道150年でも元気がない」と切り込むと、前原氏は「悲しいことですが人口が減ってゆく。人口が増えているときでも高速道路や空港もあれもこれもと作りすぎた、そのなかにあって人口が減少。鉄道基金の運用益も出ない。社会状況の変化で鉄道をどうやって残すかが政策の問題」と指摘。「一個人として鉄道を残してほしいと思いますが、これからは地域の方々との話し合いをしてゆくなかで、残すなら地域でどれだけサポートされるか、国がどういった支援をするか、残さないならどういった代替案があるか。じっくり数年かけて話し合って地域の方が納得するのが大事なことだと思う」「鉄道として全部残すのはおそらく無理だと思います。いまは国鉄末期よりはるかにお金がかかっている。鉄道が好きというだけで残せという議論にはならない。丁寧に話し合うことが大事と思う」と言い切った。

 

石破氏の発言はやや色合いは異なる。「儲からないから道路やめましょうという話を聞いたことがないんです。同じ公共交通機関でもなんでこんなに発想が違うのと」「人口が減る中で鉄道をどうやって使ってゆくか。『乗って残そう』で残った鉄道なんてひとつもない。どうやって乗りたくなる鉄道、行きたくなる街をつくるかという議論をしないままに『赤字だからやめちゃえ』という発想はすごく無責任と思う」と主張。「『国や街、鉄道会社なんとかせい』ではできない。鉄道って歩くことを求める。鉄道単体で考えず、日本の中で鉄道をどうしようという話をちゃんとしたい」と結んだ。

 

最後にふたりは鉄道ファンへのメッセージでトークをしめくくった。先月、コロナ感染した前原氏は、隔離期間中に鉄道模型に興じたという。「HOゲージを持っているんです。5年間走らせてなかったのに年間2、3両ずつ買っていた。天賞堂に行ったり。あんな危険なことはないですね。買わないぞと心に決めてもなにか買ってしまう」。半日かけて議員宿舎の自室を掃除し、レールを敷いた前原氏は「鉄道は乗るのも模型も楽しい。趣味があるのはすばらしいことだと思います」と話す。「われわれは政治家なので」と「インバウンド、国内の方に鉄道や地域のすばらしさを再発掘してもらい、地域経済につなげる。そういったことに取り組ませてもらいたい」と意気込みを語って締めた。

 

前原氏が鉄道模型なら、石破氏は「お盆に2日間夏休みがあり『六角精児の呑み鉄本線・日本旅』をみていました。あれ面白くない?めちゃくちゃ面白いよね」。視聴して「それぞれの地域の人、産物を味わうのが鉄道じゃないか」と感じたといい、「高齢化や人口減少、一極集中解消など国の目標はいっぱいある、その解決に鉄道をどう使えるか」というのがカギとみる。「鉄道好きどうし仲が悪い人はみたことがない。飲みながらでいいですよ、鉄道を使ってどうやって新しい日本をつくろうかという話をしましょう」

 

熱いトークライブだった。ときに、政治家が政治以外のものを語る姿はぎこちないものだ。相当の趣味人と見受けるふたりもまた、政策の領域に入った話のほうが熱がこもっていた気がしたのは、気のせいだったのだろうか。