衆議院本会議傍聴(2017年9月28日)

 たまたま休暇にあたったこともあり、衆院本会議を傍聴してきた。約5ヶ月ぶりのこと。言うまでもなく解散の瞬間である。

  衆院解散には苦い思い出がある。前回、2014年の解散(どうでもいいが私の誕生日だった)は間に合わず、見逃していたのだ。「フライング万歳」などと騒がれた解散だっただけに見逃したのは痛かった。議場へ入れなくとも待合室のモニターで見たらどうか、と言う同行の友人の声も聞かず、ふてくされて永田町を飛び出したのをよく覚えている。

  悔しがってばかりいてもしょうがない。先に進めよう。

  前回の反省もあり、早く行くことにした。傍聴整理券の頒布は午前8時からということだったから、その40分ほど前に着くようにした。前夜は眠れず(これは期待などでなく、単に眠くならなかっただけ)、一睡もできぬまま家を出た。

  衆議院の待合室前に到着したのは午前7時15分ごろ。寒い。雨が降っている。寒い。そうして誰もいない。遠足に早く来すぎたような気分だった。衆院解散、しかもこの政局である。「大義なき解散」に反発する向きもたくさんいるだろう。なぜいないのか。私しかいないのはなぜなのか。

  5分か10分ほどしたところにもうひとり来て、さらに経ってちらほら参集するという具合だった。午前8時に扉が開いたときにいたのは10人程度。やはり早く来すぎたようだった。

  整理券をもらって、寝るために塩崎ビルのカフェに移動した。外には運動家ひとり、街宣車1台ない。機動隊のバスも見えず静かな朝だ。そうして何時間か時間を潰し、眠ったのか眠れなかったのかよくわからぬ状態でまた国会に向かった。向かう道には8時過ぎにはなかった機動隊のバスがあちこちに停まり、先ほどとは景色が一変していた。

  ひとしきりチェックを終えて議場へ。と、傍聴席に入った瞬間私は憤激した。すでに「先客」がいるのである。当日整理券を交付された傍聴者に関しては私たちが筆頭、だから当日来た者が先に入るはずはない。何者かといえば議員紹介の傍聴者だ。議員が後援会のメンバーを呼び、傍聴させるというのはままある光景だ。今回はそうした議員紹介の傍聴者が前方を埋めていたというわけだ。

  本会議の傍聴をするうえで、席の位置は重要だ。サッカーを観るわけではないから別に議場の全体像を俯瞰する必要はない。むしろできるだけ前に行って、ひとつひとつの議席が見えるようにしなければいけない。遠ざかれば遠ざかるほど議席の氏名標はぼやけ、議員の顔も見えづらくなるからだ。そうなったらヤジがあったり人と人が話し合っているときなど、誰が誰なのかわからなくなる。私は「それ」を目的に来ているわけだから、上手くゆかなければ来た意味はない。だから前をとりたいのだ。そういうわけでいたく私は憤慨した。

  が、考えてみればこの人たちは、議員の後援会員として日本の議会政治を支えているのだ。政治の周縁で面白半分に好き放題をしている口舌の徒の私よりずっとずっと大切な役割を果たしている。こちらのほうが早く来た、といっても普段の行いから考えればそちらのほうが贔屓される理由はあるではないか。このように思い直して文句を言うのはやめにした。

  しかしそれにしても見えにくい。どうしようか、と思っていたところに議員がひとり入ってきた。一番乗りである。背丈に頭の形、そして議席の位置・・・中川俊直議員だった。議席に姿勢よく座る。彼は無所属だから党の代議士会などに出席する必要はない。この時間に議場へ入っているというのはそういうことだ。

  野党もちらほら入ってきた。「希望」組にその左は公明、公明党議席を見ると定年延長が決まったばかりの桝屋敬悟議員が柵につかまり議場を一望していた。石田祝稔政調会長後藤祐一議員と声を交わし、東京ブロック選出の高木陽介議員は敵情視察か「希望」の議席に歩み寄り挨拶をする。後ろを見ると今期限りで引退をする川端達夫副議長が井上義久幹事長と話していた。

  自民党議席では、「アル中」報道で騒がれ地元県連から愛想をつかされた橋本英教議員が渡辺孝一議員と雑談。淡々とした様子である。

  大島理森議長が入ってきた。一気に静まる。普段ならば解散の高揚でざわめきは止まないところだが、民進共産が欠席しているせいか調子が違ったのだろう。

  「諸君・・・」と大島議長。諸君?大時代的な表現が平気で使われる国会の場においても、なかなか聞かない言葉だ。「第194回国会は本日召集されました。これより会議を開きます」。通常は政府四演説を行うときなどに宣せられる文言だが、臨時国会冒頭の解散ということでここで聞くことに。仮議席を指定した途端に議長席後ろの扉が開き、紫の袱紗を持った菅義偉官房長官の姿が見えた。これしかないというのはわかってはいるが、こんなにすぐに解散詔書を読むものなのかという違和感を覚える。

  菅官房長官が向大野新治事務総長に紫の袱紗を渡し、向大野事務総長はそれを丁寧に検める。傍聴席から見ても明らかなほど緊張した様子で向大野事務総長は大島議長に詔書の写しを手渡した。大島議長はゆっくりとした口調でそれを読み上げた。

  このとき議員のうちの幾人かの脳裏に去来したのは前回解散時の奇態であったに違いない。あのとき、伊吹衆院議長が「・・・御名御璽」と言いかけたところで万歳三唱が始まり、「やり直し」をすることになったという出来事があったことは記憶に新しい。ちなみに、あれは「御名御璽」までは読まないという慣例を守らなかった伊吹氏に責任がある(読むにしてもあらかじめその旨伝えるなどやり方はあったはずだ)。そして少なくともそれまでは「御名御璽」を読まないで万歳三唱をするのが常態であったのだから、あの万歳に「フライング」という形容をするのも事実に反しているのだ。ともかくそんなことがあったものだから、まるで大島議長がどう出るかを確かめるかのように、朗読が終わったあとも沈黙が続いた。

 そこに不自然な沈黙を破るようにひとりが大音声で「バンザイ!」と叫んだ。自民党議席端、山梨2区で同党現職と公認を争う「無所属二階派」の長崎幸太郎議員だ。流れができたとみたのか、周りもそれに追随する。議場全体で万歳三唱が始まってからも、ひときわ長崎議員の声は響いていた。 なんというか全体的にはバラバラな印象。2012年の解散を見に行ったときには地の底から響くような万歳三唱に圧倒された記憶があるが、今回はまったくそのような感動はない。

  万歳三唱が終わると始まるのは拍手だ。ところが、ここでも拍手をするのにみな二の足を踏んでいる(体感的には万歳三唱が始めるよりも拍手が始まるまでのほうが長かった気もする)。すると長崎議員がまた拍手を始め、周りも追随した。二階幹事長の影があちらこちらでちらついた政局だったが、最後の幕引きまで二階派議員が飾るとは平仄が合いすぎる。ともかくも、長崎議員の気合が光った本会議となった。

  解散詔書朗読、万歳三唱が終わるとあとは議員は議場を去るのみだ。自民党公明党、維新「希望」などの議員がそれぞれ握手して別れを告げる光景が目に入る。しかし、何よりもここにいるべきだったのは「戦い方」すら定まらぬ民進党議員ではなかったか。どの党よりも不安や高揚感を色濃く漂わせたであろう彼らの「退席」を見ることがかなわなかったのは残念だった。解散の儀式を経て、いよいよ各党各候補は選挙戦に突入するが、この本会議以上には元気にやっていただきたい。そんな盛り上がりに欠ける衆院解散だった。

 会議が終わって、初対面のアウ爺さん(@augst48tokyo)にご挨拶をした。アウ爺さんはきれいな街頭演説の写真(というか政治家の写真)を撮られる方だ。ひとしきり解散をめぐる話をしたあと「どこかの演説でお会いすると思いますので、また」と言って別れた。街頭演説で鉢合わせをするというのはマニアのあるあるである。

 そんなわけで、私も投票日前日までしっかり追ってゆきたいと思う。今回も面白い出来事も遭遇できるよう祈るばかりだ。